金融知識

世界恐慌とは?

世界恐慌のきっかけは、1929年10月24日に起きた株価の大暴落です。ウォール街にあったニューヨーク証券取引市場で、株価が一斉に下落しました。後に、10月24日は「暗黒の木曜日」と呼ばれるようになりました。

株価が急落した理由は、投資家たちが経済の先行きを不安に思い、手持ちの株を売り払ったからです。売り一色となった市場では、株式の買い手がつかず株価が急落したのです。

株価の暴落を知った市民は、自分がお金を預けている銀行から預金を引き出そうとしました。株価の暴落がきっかけで銀行が破綻し、自分の預金が返ってこないのではないかと恐れたからです。

預金者の引き出しに対応できなくなった銀行が倒産すると、そこから融資を受けていた企業が資金を集められなくなり、立ち行かなくなってしまいます。すると、企業が経営していた工場も閉鎖されるため、多くの労働者が解雇されてしまいました。

世界恐慌は、ウォール街の大暴落をきっかけに発生した経済的な混乱です。しかし、「暗黒の木曜日」がすべての原因というわけではありません。ここでは、世界恐慌が起きた背景として1920年代の生産過剰・過剰投資、アメリカの農業不況を取り上げます。

生産過剰

1920年代のアメリカは、繁栄の絶頂にいました。第一次世界大戦後、アメリカ経済は大量生産・大量消費が本格化し、経済が急速に拡大して空前の好景気を迎えていました。この時代のことを「狂騒の20年代」といいます。自動車や住宅、ラジオ、洗濯機、冷蔵庫などが飛ぶように売れたのです。

しかし、20年代後半になると過剰に生産された商品が余るようになり、企業は投資した資金を回収しにくくなっていました。にもかかわらず、生産力を増やす投資が続いたため、さらに在庫が積みあがっていたのです。

過剰投機

1920年代は、株式投資が過熱した時代でもあります。好景気となったアメリカに集まった資金は、株式に投資されたため、株価は上昇を続けました。生産過剰で企業利益が上がりにくくなっているにもかかわらず、株価だけが上昇を続けたのです。

アメリカの農業不況

1920年代後半にアメリカで物が売れなくなっていた理由の一つとして、農業不況があげられます。第一次世界大戦のころ、食料の需要が増えたことからアメリカを含む世界各国で小麦などの穀物が増産されました。

しかし、ヨーロッパ諸国が自国の農産物を守るために輸入関税を引き上げると、アメリカの農産物が売りにくくなりました。加えて、農産物を作りすぎたせいで価格が下落し、農民の収入が減少します。

農民たちは借金をして土地や機械を購入していたため、農産物価格の下落で大打撃を受け、農地を手放しました。おまけに、1929年の秋が大豊作であったため、いわゆる「豊作貧乏」の状態となり、農民が商品を買う力(購買力)が大きく低下していました。

過剰投資による生産過剰や農業不況による農民の購買力低下で商品在庫が積みあがっていたアメリカでは、株価の大暴落をきっかけに金融機関の倒産が相次ぎます。その結果、お金を借りられなくなった多くの企業が倒産しました。

失業者は155万人から434万人に急増しましたが、フーバー大統領を含めて多くの人々は、すぐに好景気になると期待していました。

失業者が急増したのは1931年に入ってからで、802万人となりました。1932年には失業者が1,200万人を超え、翌1933年には1,283万人に達しました。

失業した人々は、都市の公園にバラックを建てて生活します。このバラックは「フーバー村」と呼ばれました。

1932年に実施された大統領選挙では、恐慌からの脱出を掲げるフランクリン・ロースヴェルト(ルーズベルト)が現職のフーバー大統領を圧倒し、政権交代を果たします。

ヨーロッパ

イギリスやフランスといった、海外植民地を多く持つ国は「ブロック経済」で自国の経済を守ろうとしました。これらの国は、他国の商品を自国や植民地から排除して自国の商品に有利になる保護貿易を行います。

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