1185年、 壇ノ浦の戦い で平氏が滅ぼされました。
平氏を滅ぼした 源頼朝 は、1192年に 鎌倉幕府 を開きます。
鎌倉幕府は、全国を統治するために、 守護と 地頭 という役職を設置したのです。
守護 は国ごとに置かれ、 軍事や警察 に関する役目を担いました。
地頭 は荘園ごとに置かれ、 税の取り立てが主な仕事でした。
荘園 とは、奈良時代に発生した 私有地 のことでしたね。
私有地からもしっかり税を取り立てるために、地頭が設置されたのです。
壇ノ浦の戦いに勝利した後、源頼朝と義経の仲が悪くなってしまいました。
平氏との戦いで活躍し、人気を得た義経に、頼朝が嫉妬したからだとされています。
頼朝は全国に設置した守護・地頭を利用し、逃げる義経の居場所を調べました。
最終的には奥州藤原氏を利用して、義経を自害に追いやったとされています。
義経を捕まえるために、守護と地頭が設置されたという見方もできるというわけです。